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2011年 夏の旅(2)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/9(火)朝。時差ぼけもせず、よく眠れた。お部屋が快適。窓から見える庭がすごく気に入った!朝起きてシャワーを浴びてバタバタと準備をしていたら、エイミーがピーナッツバターとマーマーレードをぬったトーストと紅茶を持って来てくれた。おいしい!たぶん自分が食べるのと一緒に用意してくれたんだと思う。この、お互い気が楽なWelcomeっぷりが心地よい。ロサンゼルス空港で食べ切れなかったサラダ(まつげくるんのおじちゃんに頼んで持ち帰りパックを用意してもらった)のを食べて朝ごはん完了。これで元気に歩き回れそう。
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今日お世話になるSさん(直子さんがホームページを通じて知り合った方)と待ち合わせの場所までバスに乗ってGO! エイミーがバスの地図をくれた。最寄りのバス停へ歩いていく。玄関を出て歩き出したら、もう、サンフランシスコを歩いている、というだけで気分がわくわくしてくる。海から数ブロックの地区。バス停には中国系のおばちゃん。英語は話せないみたい。71番のMuniバスに乗ったらアジア系の人たちが多くてなんとなく落ち着く。なじんでいる私たち2人(たぶん)。前に座った中国系のお父さんとお母さん、それぞれのお腹にバスタオルがぐるっと巻かれていて、中でもぞもぞ。双子ちゃんのもよう!ときどき頭を出している。途中、犬を連れたお兄ちゃんが乗ってくる。飼い主のお兄ちゃんはボロボロのズボンだし、臭うし、犬連れてるし、ホームレスなのかなぁ、と思った。でも、その犬はとてもかわいくお利口。

待ち合わせのMarket st. × Van Ness st. で降りる。ちょっと時間があるので角のお店でカフェラテをテイクアウト。ホームレスのおっちゃんたち、数人が歩道に。黒人のホームレスが多い。裸足で自転車に乗って、落ちている靴を指して「この靴、誰の?」と声かけてくる白人のお兄ちゃんも。

Sさんと無事にお会いでき、Sさん引率で直子さんおじいさん・お父さん縁の地へ。今日と明日、Sさんに大変お世話になるのだ。1920年前後の日米新聞社屋所在地、戸籍にあるお父さんの出生地など。
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途中、かわいいバスを発見。移動図書館だった!
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小高くなっているところからの眺めがとても美しい。100年前の直子さんのおじいちゃん、ここらへんに家を構え、新聞社まで通い、当時子どもだった直子さんのお父さんたちと一緒にここからサンフランシスコの街を眺め、海を眺め、暮らしていたのかなぁ、と思うと、私まで感慨深くなってくる。

ジャパンタウン到着。入口に日系人収容所行きや盆踊り、お店屋さんなどのレリーフからなるモニュメント。
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センターの中にある食堂街で親子丼を食べた。久しぶりの和食の味。けっこうおいしい!
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Japanese Cultural and Community Center of Northern California に立ち寄る。東北大震災の義援金呼びかけポスターが大きく掲げられている。直子さん、事務室にいらっしゃった元気はつらつとした女性と少しお話。お年が82歳ときいてびっくり。体育館でおじいさんたちがダンスしていた。
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そのあと、Japanese American National Library へ。カール松下さんに案内してもらう。山積みの資料にびっくり。日本軍の真珠湾攻撃の後、それまでの日系人団体の資料や写真は日系人自らの手でほとんど焼かれた、という話を伺った。国と国との争いは、こんなふうにして、その時代を生きた人びとの歴史を未来に渡って忘却させてしまうのか。。。去年、日帝植民地下の朝鮮では日記さえ書けなかった、という話を聞いたのを思い出した。何も昔の話でなく、特定の集団について、偏った情報を流したりレッテルを張ったり実際に攻撃したりすること。攻撃を受ける(かもしれない)側がその集団の成員であることを隠すために、成員であることをばらしてしまう様々な徴を自ら葬り去ること、というのは現代の社会でも現在進行形で起こっていることだ。(パールハーバー以降のアメリカ社会における日系人の扱いについてはSさんのこちらの記事が参考になります)

直子さん、おじいさんの名前が掲載された資料、段ボールの中から見事に見つけていた!その横で、カールさんとおしゃべり。京都のご出身らしく、しかも、私の住んでいるところととても近い場所でお生まれになったらしい。久々に故郷に帰ったとき、和菓子屋さんのおばあちゃんが「(こっちはぜんぜん覚えてないのに、向こうは小さい時分の僕のことを覚えていて)あんた、カオルちゃんやないのぉ!」と言って、おまんじゅうを4割引きしてくれた話が面白かった。カールさん、「あっはっはっ」笑っておられた。
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カールさんとお別れし、またバスに乗って、日米新聞社を設立した安孫子久太郎氏の住所と思われるところなどを歩く。途中、バスの窓から海が見えてすごくきれい!
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近くのおしゃれなお店やカフェの並ぶ通りに出てきたので、ここらでお茶の時間にしましょう、ということに。おいしそうなスイーツが並んでいる店に入る。少し悩んで、日本ではなかなかお目にかかれないルバーブ(とストロベリー)のタルトにする。直子さんはチョコレートチーズケーキ。3人でお互いの仕事や家族のこと、時間も忘れてたくさんしゃべる。すごく楽しかった。
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Sさんとお別れして、家路へのバスを待つ。が、来ないため、違う番号のバスに乗って、夕飯が食べられそうなところまで出る。途中、スーパーに入ったら、ロシア系の人たちのための食材が並ぶスーパーだった。ピクルスやピロシキがおいしそうだった。
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てくてく歩いて食べ物屋さんが並ぶ通りに出てきた。ベトナム料理に決める。にぎわっている店に入って、フォーと揚げ春巻きを注文。葉っぱやライムも付いてきて、ベトナムで食べるみたいにおいしかった〜。
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途中、ビールとスナック菓子を調達。「IDを見せて」と言われて、驚いた!10代に間違われたようだ。日本じゃあ30代に見られるのになぁ。不思議。直子さんは「私も見せたらいいかしら??」と冗談を言って、お店やお客のお兄ちゃんを笑わせている。。。すばらしい!

家の近くまで連れていってくれる路面電車に乗ろうと、道路の真ん中の停留所で待っていたら、走ってくる電車の運転手さんから大きく「そこからは乗れないよ〜!」というようなジェスチャーを受け、乗れないのかと思って、少し遠いバス停まで歩くことに(あとで、私たちの居たのが車椅子乗車用のところだっただけ、と知ってがっくり)。バス停まで遠いし、日も暮れてきて(といっても夜9時くらい。サンフランシスコは日が長い)、寒い。
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やっとバス停に着いたのに、今度はバスが来ない。かれこれ待つこと30分。しびれを切らして前の薬局に入って、レジのお兄ちゃんに「このあとバスは来るのか?」と聞いてみる。来るらしい。もう少し待つことに。そこへ、中国系のおばちゃんがやってきた。直子さんと、「(地元の)おばちゃんも来た、ということはバスは来るね!」と元気になる。でも、さらに30分ほどたってもバスは来ない。おばちゃんは途中、誰かに電話をかけた。3人で寒いなか、待つ。もう本当に心細くなってくる。サンフランシスコ満喫の初日にして家に帰れなくなったらどないしよう!?あきらめて歩いて帰るか。にしてもかなり遠い。そんなのしんどい。どうしよう。・・・そんな不安な気持ちでいっぱいの直子さんの私の心の支えは、隣に立つおばちゃんだけだった。おばちゃんがバスをあきらめて歩き出したり、家族が迎えに来たりしたら、もうおしまいだ、バスはいよいよあきらめよう、という気分になってくる。・・・と、そこへ、ついにバスの明かりが!「やった〜!バスが来た〜!」と3人で喜び合いつつ乗車。

無事帰宅。エイミー、まだ起きていて、今日の出来事を報告。無事の帰宅に乾杯。どのビールがよいかわからず、ハイネケンを買ってきた私に「ハイネケンはおいしくない。アメリカのビールはおいしいから、これを飲んだ方がいい。いちばん良いのは生だけど、せめて缶じゃなくて、瓶で。」とノートにビール情報をメモしてくれた。
"Anchor Stream, John Adams, Lagunitas "
よぉ〜っし、全部制覇するで〜、と意気込む。
エイミーの持ってきてくれたワインも美味。
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*案内をしていただいたSさんのホームページ:日系移民の歴史
日系人について多くを知ることができます。Sさんが様々な資料を読みこなし、まとめられた記事の数々。Sさんが感じたこととともに丁寧に綴られています。ぜひアクセスして、日系移民の歴史について知ってください。
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