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2011年 夏の旅(5)サンフランシスコ [仲良くごはん]

8/12(金)、今日はサンフランシスコからCaltrainという鉄道に乗って1時間のSan Joseという街にある日系人博物館へ思い切って行くことにした。そうと決めた私たちに、初日と2日目にお世話になったSさんが、80代の日系1世のボランティアガイドの方をご紹介くださった。Sさんがこちらでボランティアをされてきたからこそである。本当にありがたいこと!

朝、相変わらずドタバタだったが海の方へ散歩した。朝は曇っていて浜辺はグレー色。海までの通りにオーガニック系のスーパーや中華料理店を発見。こんな近くにお店あったんだったら、食材やビールはここで買えばよかったね〜、と後悔する。これから利用しよう。

海の近くからバスに乗った。直子さんとお互いの夢について話す。「やっぱりやりたいことはやらないといけないよね!やろうやろう!」と盛り上がるバスの中。

バスの乗り継ぎ地点で降りたら、タイミング良くCaltrainの駅までの直行乗り合いバスがやってきた!乗せてもらう。駅までの通りを眺めていると、若者のホームレスたち(スーパーのカートのようなのを押している)やシンナーを吸ってる人もいた。

駅で無事チケットをSan Jose行きの購入し、電車出発までまだ時間があるため、やっぱり食べ物を物色してしまう。サブウェイでスープを買おうとしたが、1つ目のスープの種類がよく聞き取れなくて「何のスープ?」と繰り返し聞いたら、「この子、チャイニーズだから相手したげて〜」と店員さんしびれをきらし、別のアジア系の女の子が出てきた。ジャパニーズなんですけど、、、と思いながらスープを見せてもらって、結局2つ目のチキンスープにした。さらに、隣のサンドイッチ屋でベーグルサンドとカフェラテをまた買ってしまった。朝ごはん、食べてきたのに!いずれも味はまあまあ。バークレーみたいにとびきりおいしい訳ではない。

電車に乗り込み、2階の2人掛け椅子に。向こうの席に同世代女子と小さなワンコがいる。直子さんと夢の話の続き。窓からの眺めも見ていて飽きない。途中海のような湖のようなところが見える。きれい。1時間とちょっとで、San Jose着。こんな電車。
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San Joseの博物館は、サンディエゴ在住の友人Kさんが教えてくれた。行き方も丁寧に教えてくださったため、安心。San Jose駅からトラムに乗り換え。今日からJazz Festival があるようだ。いいなぁ。街の雰囲気は小綺麗な感じ。ホームレスは見当たらない。

Japan Town駅で降りる。どっち方面かわからなかったので、直子さん、バス停に居たかわいい女の子に声をかけて聞いてみる。親切に教えてくれて、その方向に歩いていく。
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少し歩くと、無事にJapan Townに到着(タペストリーがかかっていた)。豆腐屋さんや韓国料理のお店のある通りを少し歩いて行ったけれど、博物館がどこにあるかわからなかったので、ビデオショップに入ってお兄ちゃんに聞いてみた。教えてくれて、無事到着。入館料を払い、サインをし、テリーさんを待つ。荷物とかを置かしてくださる。皆さん、親切!

テリーさんいらっしゃって、ご挨拶し、案内していただく。テリーさんは1939年、3歳のときに京都から大洋丸に乗ってアメリカにやってきたそうだ。
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写真やカバンや着物から海を渡ってきた人たちのアメリカでの暮らし、そこでどんなことを感じ、どんな辛いことや、どんな嬉しいことがあっただろう?と、時を越えて彼/彼女たちに近づいてみたい、と思いながら展示を見る。
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日系人の強制収容は1942年2月に始まる。展示を見ていると“evacuation”という言葉。この単語は「避難」という意味。何も知らされずに、「保護」「避難」という名目で行われた。持てるだけの荷物しか持ってはいけないと言われ、集められ、列車で運ばれていった人びと。どこに連れていかれるのかもわからず、厚着のコートを着ている人たち。不安そうな表情が見てとれる。ふと、今日本で起きている福島原発事故により避難させられた人びとの姿と重なる・・・。
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1つの収容所に1万人近い人たちが暮らす。周囲は有刺鉄線に囲まれ、バラックが整然と建ち並ぶ。多くが人が暮らすには適さない場所。緑もない、昼夜の気温の差が激しい砂漠のようなところ。
6人家族用の収容所の1室の展示もあった。祖末な、プライバシーもない部屋。どんな暮らしだったろうか、と思う。でも、写真の中の子どもたちは笑顔のかわいい、どこにでもいる子どもたち。
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展示室の真ん中に腰掛けて、テリーさんからいろいろ話しを聞かせてもらう。日系人として、排斥されながら、一方でアメリカ国家に忠誠をあらわすために米軍兵士となった若者もいた。第442連隊。ヨーロッパの激戦地に送られたという。

なんと言い表したらいいのかわからないが、こうやって生きてきた人たちの歴史をかいま見て、そして、実際にその歴史の中を生き抜いて来られた人たちに実際にお会いして思うことは、ただただこの歴史と人びとを素通りしないで済んでよかった、ということ。
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そんな思いでいっぱいになるが、お腹の方はすいてくる。
なんとテリーさんも昼食をご一緒してくださることに!直子さんの交渉、さすが!「何が食べたい?」と聞かれて、「(まだ食べていなかった)カリフォルニアロールが食べたいんです」と答えると、「じゃあスーパーで買ってきて事務所で食べたらいいね」と提案してくださった。スーパーまでの途中、かつて日系のお医者さんのお宅で今は保存されている建物を覗かせてもらった。中に入ると太鼓の音が。太鼓サークルの活動中のようだ。リーダーの若い女性にご挨拶できた。木陰には収容所の名前が彫られている石のベンチもあった。
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スーパーに入るとスイカと焼き芋が並んでた。
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事務所に戻ると、他にもボランティアガイドのおじいちゃん3人がいらっしゃった。二世の方かな。皆さん、70歳後半から80代前半のようである。ジーパンにTシャツの方、「家でサンドイッチを作って来たんだよ」と話しかけてこられた方、アロハシャツの方。総じて皆さん若々しい!カリフォルニアロールとうなぎ巻おいしい。一口で食べたらテリーさんに驚かれ、笑われた。たわいもない話をして皆で笑う。齢を重ねた人たちとのこういった時間がとても好きだ。今回の旅の目的を熱心に話す直子さんの話を、皆さんもまた熱心に聞いておられる。その様子を見て私もうれしい。
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そのあと、また展示をゆっくり見たり、資料室で写真集を見たり。折り紙教室が隣で行われていた。博物館がこうして地域の人たちが集う場になっているようだ。駅まではテリーさんが駅まで送ってくださることに!本当にありがたいったらありゃしない。記念撮影をし、名残惜しい気持ちいっぱいで車に乗り込む。日差しが強いが、沿道の木々の緑がキラキラしている。あっという間に駅に到着。テリーさん、ホームまで見送りに来てくださった。テリーさんたちが暮らす街、San Jose。ぜひ多くの日本の人たちに足を運んでほしい街。
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電車の中で購入した本をぱらぱらめくったが、即眠りこけ、起きたらサンフランシスコ到着目前だった。
今日は早めに家に帰ろう、とどこにも寄らずバスを乗り継ぎ帰る。晩ごはんは朝チェックした、中華料理にしよう、ということに。途中、スーパーに立ち寄り、ヨーグルトやバナナを買う。いくつかおやつと到底食べきれない量のピーナッツバターも買ってしまった。
中華料理店、夕ごはんどき、家族連れでにぎわっている。良い予感♪ 少し待ったけどすぐに中に入れた。私はスープ付きのお得なセットにし、直子さんは海鮮麺。いずれも美味しかった!ちんげん菜が特に!接客のおばちゃんは淡々としている。店を手伝っている男の子(11歳くらいかな)がかわいい。
大きなお皿を運んでいる。食べ残した分は持ち帰らせてもらう。
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満腹になり、帰る。ニャンコと目が合った。
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ビールとおつまみで、今日の一日の出会いに乾杯した。そしてまた高田渡を聴く。
今日の収穫物。好きなものばっかり。気になったけど、やっぱり戻したレモンケーキ(右下)を、直子さんが買っていた。二人で旅するのは楽しい。
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Japanese American Museum of San Jose
サンフランシスコ市内から、CaltrainでSan Jose Diridon駅まで行って、そこからVTA Light Railでミュージアム最寄り駅のJapantown/Ayer stationへ。降りたら、電車の進行方向にあるJackson St.を右に曲がり、4ブロック目の5th St.を右に曲がるとすぐ。

*Wikipediaに結構詳しく載っていました。勉強になります。→ 日系人の強制収容
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