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恩師の記事 [読みもの&映画]

今日の朝日新聞滋賀県版に、恩師の記事が載っていました。
しかも、記事を書いたのは大学時代の木野ゼミ仲間の大西くんです。
写真付き記事はこちら → 
内容も貼付けます↓
◇その時・・・◇「将来の差別 心配」
2011年03月29日
【立命館大教授 木野茂さん(69)】
――福島第一原発からの放射性物質の流出が大きな問題になっています
 環境やエネルギー問題を考える講義を20年近くしている。放射線による被曝(ひ・ばく)の危険にも触れてきたので、東日本大震災の直後から学生や卒業生からよく相談を受ける。茨城県で働く教え子の女性は、沖縄出張中に地震が起き、上司からすぐ戻れと言われて悩んでいた。若い女性や子どもに影響が大きいからだ。
 深刻な問題もはらんでいる。公害事件となった水俣病では「患者が出た町から嫁をもらうな」と言われ、出身地を隠して県外に嫁ぐ女性もいた。あってはならないことだが、原発に近い地域の人たちが同様の差別を受けないか、とても心配だ。
 ――水や野菜から国の基準値を超える放射性物質が検出されています
 畜産物や海産物に広がる懸念もある。ただ、流通規制など政府の対応の速さは一定の評価ができる。一方で無責任とも言える発言もあった。政治家も、専門家も「直ちに健康に影響はない」というフレーズをよく使うが、被曝から時間がたって影響が出る「晩発性」のがんなどをどう考えているのか。長期的に出る影響も踏まえて対策を考え、説明する必要がある。
 そもそもメディアに出てくる「原子力の権威」と称される研究者の多くは原子力政策を支えてきた人たちだ。慎重な立場だった専門家は、今回も発言の機会を十分与えられていないように映る。
 ――県内でも水などの買い占めが起きています
 原発の事故は、関西の人たちにとってもひとごとではない。福井県の若狭湾周辺は15基もの原発が集まり「原発銀座」とも言われる。日本はエネルギーの2割以上を原子力に頼り、関西電力管内では、その比率は半分ほどにもなる。戦後、自民党政権が進めてきた原子力政策を受け入れてきたのは、私たちだということを忘れてはならない。改めて原発政策と向き合う時期に来ているのではないか。
 被災地では多くの人たちが悲しみ、寒さ、不便さ、そして放射能の恐怖と闘っている。原発から離れたくても、高齢などの理由で動けない人も多いと聞く。そうした中で、今まで通りの生活を求めて買い占めをするのは、決して正しい行動ではないはずだ。我々日本人は、いま起きているリスクを等しく受け止める覚悟がいる。(大西英正)

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今朝、家を出る前に聞いていたラジオで、内橋克人さんが原発問題について取り上げる中で、原発のことも含めてエネルギーに関する教育を早いうちからやらないといけない、と言っていた。大西くんの記事を読みながら、しみじみ、ほんと学ぶ機会があるとないとではぜんぜん違うなぁ、と思った。私も大学で木野先生の授業を受けなかったら、原発に対する意識も水俣病のことも知らないままだったかもしれない。

原発事故に関する信頼できる情報源 [読みもの&映画]

日本政府の言っていること、まったく信用できない。なにか重要なことを隠してるんだと思う。
ということで、信頼できる情報源いくつか、もしまだ見聞きしていない情報があれば共有できればと思って、ここに記します。

●木野先生の授業で教わった小出裕章先生のラジオでYouTubeから聞けるもの。
http://www.youtube.com/watch?v=W2PhqcIcRZc&feature=watch_response_rev
http://www.youtube.com/watch?v=opqum8p22wo&feature=watch_response
http://www.youtube.com/watch?v=-3nQqL351Bw&feature=watch_response
小出先生の講演会の資料など

●ラブピースクラブの北原みのりさんによる、聞きたかったラジオのテープ起こし
LPCコラム北原みのりのコラム

元原発建設作業員の方の手記

イタリア/原子力政策の選択に関する国民投票(87年)

原発反対と思っているだけでなく、何か具体的に行動しなければと考え続けている。
事故をくいとめるために命がけでやっている現場の作業員の人たちのこと、これからの放射能汚染のこと、東日本に暮らしている友人たちのこと、この国のあり方について、、、ぐるぐるしている。職場に行けばやらないといけないことがあって、いったん横に置いている。横に置きっぱなし、臭いものには蓋、でどんどん人はものを考えなくなって、こういう事態になってしまったのかな、とも思う。思えば、部落問題だけじゃなくて、日本には「寝た子」にさせられている問題ばっかりだ。

今日の新聞に、福島のキャベツ農家の人が自殺した、という記事が載っていた。水俣のときや狂牛病のときと同じで、いつも自然に対する人間のあり方をわきまえ、謙虚に、日々仕事をやっている人たちが、真っ先に傷つけられる。本当に悲しい。
一方で、関西電力の社長が原発重視を強調、という記事が出ていた。何言ってるんだ、この人は!と思ったけれど、関西電力は原子力発電依存度日本一。今使っている電気の半分が原子力発電で作られてる。福島のこと、まったくもってひとごとじゃない。関西に暮らす者として何かやらないといけない〜!
友人の皆さん、今度会ったとき、一緒に考えたいです!よろしく!

東京から避難してきた母と息子 [仲良くごはん]

地震が起きた2日後の13日から1週間、東京から友人が子どもと一緒にうちに避難してました。
帰ったら家に人がいると思うとさっさと仕事を片付けて早く帰りたい!と思うし、子どもは早寝だから私も早寝を心がけるし、子どものためのごはんを作るときに私の分も一緒に作っておいてもらったり、なんだか楽しい1週間でした。2人は今はまた別の知り合いのところに移っているのですが。
帰宅後、原発事故の情報を伝え合ったり、2人で小出裕章先生のラジオを聞いたりしていました。彼女は「自分1人ならこんなに考えないけど、子どもがいるから違うんだよね。この子だけは守らなきゃ!って思う。この先どうなるのか本当に心配。ずっと放射能から逃げ続けるわけにもいかないし、どうしよう」と話していました。私なんかよりずっとセンシティブにこの事態を受け止め、自分で考えて、決断して、東京から京都までやってきた彼女に感心したし、不安な気持ちが落ち着くところへいったん避難するというのは当然の行動とも思いました。

ところで、彼女が子連れで来てくれたおかげで、前から興味のあった新しい「家族」のあり方を少し経験できて、なかなかおもしろい1週間でした。こういう生活、できるかも・自分の人生の中に有りかも、と思いました。震災孤児も増えるようだし、こういうかたちで次世代を育むという選択肢も芽生えそうです。

夜遅くまで起きていた友だち。さんまを焼いている。さんまなんて家で焼いて食べたのいつぶりだろう!?
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おいしかったおかずの数々。シンプルなんだけどナンプラーとか使っていて独創的でおいしい友だちの手料理。週末には私がしっかり働き、子どもと一緒にハンバーグやグラタンを作り、とっても楽しかった。
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Hくんは珈琲豆をミルで挽くのが楽しいようで、私のために何度か挽いてくれていた。この後、私はお湯を注ぐときに豆の入ったドリッパーをこかしてしまい、豆をぶちまけたが「ごめ〜ん!せっかくガリガリやってくれたのにダメにしてしまった〜。もう一回ガリガリやってくれる?」と聞いたら、すごく嬉しそうに「いいよ!」と言って、もう一回挽いてくれたのでした(笑)。
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合掌 [ある日の風景]

先日、1歳年下の後輩が癌で亡くなった。27歳だった。
私は大学2年のとき、出会った後輩たちに「自分が部落出身であること」をどうしてもカミングアウトできなかったときがあった。大学の部落問題の授業を受講して、関心をもって担当の先生の研究室に集ってきてくれた後輩たち、にもかかわらず、である。
今から思えばアホらしいほどに、悩みまくっていたその年の夏に、思いきってその後輩たち数人と香川県の部落で合宿をした。先生がそういう機会をつくってくれた。
いろいろ感じることがあり、最後の宿泊の日に、ようやくカミングアウトし、自分の思いを伝えることができた。
亡くなった彼女は、その中にいたひとり。私の気持ちに寄り添って、話を聞いてくれていた。
後輩たちが一生懸命に聞いてくれたから、私はそれまで信じられなかったものを信じて、自分を閉じずに語る、ということがはじめてできたのだ。その経験があるから、今がある。
合宿から帰ってきて、彼女をはじめ、その後輩たちが一緒に「部落問題研究会」というサークルで活動してくれた。活動の中で、彼女も自分のこれまでのことをぽつぽつと語ってくれた。
彼女が末期の癌で余命宣告をされていたことは知っていたのに、またゆっくり話がしたいと思っていたのに、結局会いに行かずに、年末に会ったのが最後になってしまった。
1年前に会ったときも年末に会ったときも私は、気丈にふるまう彼女を前にして泣いてしまったので、また泣いてしまったら病気と闘っている彼女に失礼だと思った。それに「死んでしまう」ということを信じたくなくて、「また会えるよね」という気持ちがあった。
でもやっぱり、わんわん泣いてしまったとしても、時間をつくって会いに行けばよかった、と後悔している。

普段なかなか会えなくても、心と心はつながっている同志だった。もう会って話ができないと思うと、自分の中で彼女の占めていた部分が本当にぽっかりと穴が空いてしまって、さみしくてたまらない。(この世に残された者には、さみしさを紛らわしてくれる仕事とか日々の雑用とかなんだかんだあるからなんとか過ごしていけるのかなぁ、と思う。)

彼女が私を慕ってくれたことが私の誇りである。
いつまでもメソメソしていないで、天国にいる彼女に愛想を尽かされない生き方をしたい、とつくづく思う。
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